厄年と聞くとなんだか怖いイメージがありますよね。
でもその一方で「厄年なんて迷信でしょ?」と思う方もいるかもしれません。
実は私も「厄年なんて単なる迷信」と思い特に厄払いもせず過ごしていたのですが、後から振り返ってみると結構大変でした。
そこで今回は、これから厄年を迎える方へ向けて
・厄払いに行かなかった私がどんな目にあったかという体験談
・厄年の厄払いに対する私の考え
を述べたいと思います。
目次
そもそも厄年とは何歳(いつ)なのか
厄年とは昔から経験的に『肉体的・精神的な変化が多いから、身体に気をつけなくてはいけない』と言い伝えられている年齢のことです。
また大厄の年齢(男性42歳・女性33歳)は「42(死に)」「33(散々)」という語呂合わせであるとも言われています。
男性と女性で厄年の年齢は違い、一覧で表すと以下のようになります。

引用元:http://girlschannel.net/topics/1007521
厄払いに行かなかった私の、厄年に起きた体験の数々
「厄年」という響きにはちょっと怖いものを感じていたけど、「私には何もないだろう」と思って厄払いには行かなかった私。
でも実際に厄年のことを振り返ってみると、悪いこともいろいろあったと感じます。
“厄年だから”悲惨な目に遭うのかどうかは分かりませんが、実際に私が厄年にどんな経験をしてきたかを挙げてみたいと思います。
18歳~20歳
数え年の18歳~20歳(実年齢17歳~19歳)までは、特に悪いことは無かったように思います。
強いて言えば、祖父が他界したことくらいでしょうか。
医療系の学校に入学し、勉強とバイト漬けの生活は確かに大変だったけど、自分のやりたいことができているという充実感がありました。
33歳(本厄・大厄)
私は大厄の33歳で離婚しました。
前厄である32歳(実年齢31歳)のときには既に「この結婚は失敗だった」と感じていました。
それでも「結婚したら最後まで添い遂げなくてはいけない」という思い込みがあって、どうにか関係が改善しないかと苦しい日々をすごしていました。
しかし、本厄の33歳(実年齢32歳)のときに、決定打となる出来事があって離婚。
(まぁ今となっては離婚そのものが最大の厄払いだったと思えますが笑)
離婚して再就職した先が、ブラック企業。
あまりのキツさに、普段なかなか熱なんて出さない私が高熱で1週間寝込んだこともありました。
36歳~38歳にかけて
女性の厄年ラストイヤーである36歳~38歳(実年齢35歳~37歳)。
私はまだブラック企業で働いていました。
36歳(前厄)のときに、めまい症(良性発作性頭位めまい症)にて2週間入院。
37歳(本厄)では、生まれて初めて
・アトピー性皮膚炎
・インフルエンザ
・胃炎(胃カメラを飲みました)
・顎関節症
・ぎっくり腰
といった数々の疾患を次々と発症。
子供たちも立て続けに法定伝染病(水疱瘡など)や水いぼなどの感染症にかかり、しょっちゅう病院に通っていたような記憶があります。
周りからは「小暮の席に座ると病気が伝染る」とまで言われ、さすがに「お祓いに行ったほうがいいかな…?」と思い始めました。
38歳(後厄)の年に、
・肺炎で2週間の安静生活
・東日本大震災
・歯の神経が壊死したため、健康な歯を抜いての神経の治療
を経験しました。
あとこの年に両親が熟年離婚したのも、いろいろと考えさせられました。
厄年には厄払いに行ったほうがいい?私の考えは
厄年や厄払いについて、本厄を経験するまでは
「単なる言い伝え・迷信だろう」
「わざわざ厄払いに行くのも面倒くさい」
「きっと私は何もないから大丈夫」
と思っていました。
でも大厄(33歳)での離婚や、36~38歳にかけての相次ぐ体調不良を経験したので
「厄払いに行っておいたら、ちょっとはマシだったかな?」
とヒシヒシと実感しました。
厄年に対する考え方や過ごし方は、自分の心がけ次第だとは思います。
でも昔から長年「厄年には厄払いを」と言い伝えられてきただけあって、厄年は人生の節目だから病気や災難に気をつけなさい、ということだったのだろうと今になって実感しているのです。
なので、私は厄年の厄払いには行ったほうがいいと思います。
厄払いの目的として、
・自分のこれまでの人生に感謝をするため
・これからの人生を元気に過ごすため
・大切な家族が元気で過ごせるように
・自分の人生を見つめ直す機会とするために
・今後の人生でチャンスを掴み取るために
などが挙げられると思います。
むしろ厄払いという習慣を積極的に活用する、くらいの方が人生前向きに楽しく生きられるような気がします 🙂
厄年の体験・まとめ
厄年に様々な病気やトラブルを経験した私としては、厄払いは行っておいたほうがいいと思います。
宗教的な意味合いというよりもむしろ、厄払いを機に自分の生き方を見直したり、周りに感謝するきっかけとして厄年を活用したらいいのではないかと考えています。